自分を飾るとか飾らないとか

松屋で牛めし食ってたらむせてしまって鼻の奥にご飯粒が入り込んでしまい、家に着くまでくしゃみをしてしまわないか冷や冷やだったcbxです、こんばんは。



さてさて、例えば俺のブログ。「読んでも面白くないです」を例にすると、明らかに初期の記事と今の記事の傾向が違う、というのが分かると思います。また、はてなで書いている「あんまり更新しないの」の(こっちもアレな題名だよな)初期の記事も参考にするといいかもしれません。



どっちを見ても初期の記事と今の記事の傾向は違うのです。はてなではひたすらPMの、プロジェクトの文句、こっちではまあ、占いを初めとしていろいろありましたね。いろいろ模索をしてました。



結局どっちも初期の方が面白かった、という結論にたどり着くのですが。



正直、初期に読者登録をして下さった方々は戸惑っていると思うのです。「どれが本物のcbxなのだ」と。



結論から言えば残念ながら「どれも俺」だ。ひたすら文句を言い続ける俺も、ひたすらトロ占いを書き続ける俺も、ひたすらゲームの結果を書き続ける俺もひっくるめて、俺なのだ。



久しぶりに会った友人に「お前も変わらないねぇ」なんて言われる時がある。「ああ、まあな」とは答えるものの、日付が経って経験するものも変われば人間なんていとも容易く変わるものである。変わらない様に見えるのは当時の俺を再現しているだけなのである。こういうのは多分誰でも経験したことがあると思うんですけどね。



とある人間が「何をして、どのように変わっていくのか」というプロセスって結構見てて面白い、と思うのです。逆に言えば変わらない人間なんて言ってしまえば何もしてないのと同じでつまらない。



今の俺はQMA一色であるが、半年後にはどうなっているか分からない。いや、3ヶ月先でさえ危ういものだ。



本当の自分、とかを探している余裕があるくらいならとりあえず動いてみたい。臨機応変にさっきまでとは違う自分になれるのだから、きっとそんなものは無いか、その時の自分がそうなのだろうから。



よくまとまってないが揚げちゃおう。